【勉強法】過去問をやる意義と効果的な使い方【総論】

勉強法
受験生「合格者や先生は、皆んな口を揃えて『過去問をやれ!』っていうけど、普通に解くだけでいいの?それとも、何かやり方があるの?というか、そもそも前に出た問題なんてもう出ないんだからやる意味ないんじゃないの?」

もしかすると、このように考えられている受験生がおられるかもしれません。
今回はこの悩み(というよりも疑問?)にお答えしたいと思います。


講師歴約6年の僕がこの記事を書いています。
今まで数多くの生徒を指導し、旧帝大や難関大学志望の生徒を志望校へ合格させてきました。
こうした経験を基に本記事を書いています。


志望校の過去問は、明確な目的意識を持って利用する必要があります。
考えなしにただ闇雲に過去問を演習していても意味はありません。
逆に、過去問を使いこなせるようになれば、他の受験生から頭一つ抜きん出ることが出来るでしょう。


この記事を読むと、『試験勉強』において過去問が必要不可欠なものだと理解して頂けると思います。
同時に、過去問をやる意味や、効果的な過去問の取り組み方が分かるようになると思います。

それでは早速見ていきましょう。

過去問はやる意味があるのか

先ず、結論から申し上げておきます。
過去問はやる意味があります。

というか、意味があるとか無いとか、そういう次元の話では無いです。
過去問をやるのは受験生であればマストです。

どんな試験であっても『試験』と名の付く場合、受験生は過去問をやらなければなりません。
よっぽど特殊な形態を取る試験以外に例外は存在しないと思います。

過去問は受験生が目指すべき『最終目的地』

過去問を一言で表現すると、『全受験生が目指すべき最終の目的地』です。
『過去問をやらずに勉強をする』というのは、例えると『地図を持たずに迷路を進む』ようなものです。

残念なことに(というか当たり前なのですが)確実に道に迷うことになります。
何せ自分の目指すべき目的地が描かれた地図(過去問)を見ていないのですから。

以前にも申し上げましたが、地図(過去問)を見ないで目的地にたどり着くことはあります。
ただし、それは確率論の話です。

偶然、本当に偶々、目的地に到着した(合格した)だけのことです。
合格するか否かの大勝負を運に任せたいのであれば、それも良いでしょう。
(ギャンブラーですね…ベットするのは貴重な人生という名の『時間』でしょうか。)

何れにしても、僕はおすすめすることは出来ません。

目的意識を持って過去問をに取り組むべし

先に述べた通り、試験を受ける予定の受験生であれば、必ず『過去問』を検討しなければなりません。

そして、過去問は目的意識を持って取り組む必要があります
(目的意識を持つことが重要なのは、特に試験の勉強に限った話では無いのですが…)
→目的意識を持つことの重要性について言及しているのはこちらの記事です。合わせてどうぞ。

さて、では過去問を検討するときにどういう目的意識を持つべきなのでしょうか?

こう質問すると大抵の受験生は、「傾向を知るためです」とか「どんな分野が出題されやすいかを知るためです」とか「出題される問題の難易度を知るためです」と答えることが多いです。

確かに過去問をやる意味はこういう要素を確認するという側面も存在します。
しかし、これらの要素は過去問をやるための本質的な(=重要な)要素ではありません。

↑のような分析は誰でもやります。
それでは不十分で、もう一歩踏み込む必要があります。

過去問をやる目的

では、どのような目的意識を持つべきか。
それは『合格するために自分に自分に必要なもの・必要な能力は何かを見極めるため』です。

換言すると、『自分に求められているもの・能力は何かを知るため』ですね。

そしてこの『自分に求められているもの・能力』は(厄介なことに)他人事に異なっています。
従って、自分で過去問をやらなければ、自分がどういう能力を身に付けなければならないのか分からなのです。

あなたの信頼する合格者や先生であっても、あなたに何が必要かを正確に述べることは出来ないのです。自分で見つけるしかないのです。

気持ちは分かります。
先が見えませんし、合格するかどうか分からないので不安で堪らないでしょう。

でも、誰かに縋り付いた所で結果は変わりません。
縋り付くことで得られるのは不安が満たされるという一時的な安心感です。

所詮は一時的なものですから、時間が経つとまた不安感に襲われることになります。
そうすると、また誰かに縋り付く… これではイタチごっこです。

そして何よりも、あなたの人生を生きているの他でもないはあなたです。
信頼する合格者や先生ではありません。
あなたの人生はあなたが責任を持たなければなりません。

他人があなたの人生において責任をとってくれることなど決してありません。

強く目的を意識して下さい。
そうすれば、やらなければならない事は自ずと見えてくるものです。

あなたがやらなければならない、あなた固有の課題のみに懸命に取り組んでいれば、本当に呆気ないほど簡単に合格してしまいますよ。

求められていることは人それぞれ

試験に合格するために、あなたに必要なものが何なのかを知るためにも過去問を解いてください。
そして、『合格』までの距離は人それぞれです。

確実に万人に当てはまることはここまでです。
これ以上の具体的なこと(参考書や問題集、勉強法など)を皆んなに向けて主張する人には注意が必要です。

何故なら、具体的なことであればある程、万人には当てはまらなくなるからです。
従って、自分に当てはまるかどうか分からないのです。

冒頭で、『過去問をやらずに勉強をする』ことを『地図を持たずに迷路に突撃する』と例えました。

この例えを更に広げると、
・迷路のゴールの位置は誰にとっても絶対的なものです。
 位置が異なるということはあり得ません。

けれども、
・ゴールの見える方角、ゴールまでの距離…etc は、人によって様々です。
(スタート地点から、皆んながよーいどんでスタートを切ればそんなことにはならないでしょうが実際の試験では、基礎学力など人によって異なるので、極めて相対的なはずです)


ここでAさんとBさんが居たとします。

Aさんの現在地はゴールから500m離れたところにいます。
迷路の地図は持っていませんから絶賛迷子状態です。

一方のBさんはゴールから1500mほど離れていますが、地図は持っています。
なので道に迷うことはありません。


この場合、Aさんがすべきことはゴールに近いからといってゴールを目指すことではありません。
Aさんのやるべきことはまず地図を手に入れることです。
そうでなければゴールにたどり着けるかは確率論になってしまいます。

反対にBさんはもう既に地図を持っているのですから、ゴールから遠く離れていようがゴールに向かって突き進めば良いのです。ゴールを目指すこと以外にBさんがやることはありません。


このように、AさんとBさんは同じ『迷路のゴールを目指す』という目的を持っていますが、それぞれでやるべきことが違います。

ゴール(目的)は大事ですが、もっと大事なことは『今の自分から見て、ゴールがどれだけ離れているのかを認識して、今自分のいる位置からゴールを目指す』ことなのです。

全ては過去問に始まり、過去問に終わる

①過去問をやる
   ↓
②合格するために自分に必要なもの・能力は何か、見極められる(=自分が何をするべきか分かる)
   ↓
③それを身につける・その能力を鍛える(=自分が出来ないこと、自分に足りないものを補う)


という流れを辿ることになります(というかそうあるべきです)。
そして、この③がいわゆる『勉強』と我々が呼んでいるものの正体です。

ここで重要なことは、『具体的な勉強メニューは過去問をやることで初めて決まる』ということです。
目的が先に存在して、それを達成するために手段が決められるのです。

この順番は守られていなければおかしいです。
というのも、目的が定まる前に手段が決まっているということは、以前の記事でも申し上げましたが『何をすれば良いのか分からないのに何かをし始める』ということに他ならないからです。

意味不明ですよね。
例えば、電車(手段)に乗ろうと思ったとき、目的地は予め決まっていますよね?
まさかと思いますが、電車に乗ってから目的地を決める人なんていないでしょう?
(松尾芭蕉のように、片雲の風に誘われた人は別ですが 笑)

過去問と具体的な勉強の関係もこれと全く同じです。

そして、過去問をやった上で、〇〇(参考書や問題集などの過去問以外のもの)が自分にとって真に必要だと感じられたら、〇〇をやれば良いのです。

更にダメ押ししておきますが、この『〇〇が必要だ』という判断すらも過去問をやらなければ分からないはずです。
①と②が出来ていないのであれば、自分に必要なものが何かなんて分かるはずがないのですから。


このように、受験生がやるべき全てのこと(手段)は過去問(目的)に依存して決定されるのです。

流石にここまでしつこく過去問が重要である理由を論じられると、『過去問は大事』『過去問をやれ』という台詞に、一般的に通常考えられている以上の非常に重大な意味があることに気付いたのではないでしょうか?

自分の進むべき道がこれであっているのか、自分の今やっていることが正しいのか不安になった場合は、過去問を検討して確認すれば良いだけの話です(過去問は解けなくても構いません。問題集ではないのですから)。

受験生は常に過去問とともにあるべきです。
このことは念押ししておきたいと思います。


皆さんの今やっている勉強(手段)は過去問(目的)から導き出されたものだと自信を持って言えますか?
言えるのであれば、何の問題もありません。目的地まで脇目も振らず突っ走ってください。

まとめ

この記事では過去問をやる意義について言及しました。

「過去に出題された問題は二度と出ないのでやる意味がない」などという、まるで過去問を問題集か何かだと勘違いした主張が如何に的外れなものかお分かり頂けたでしょうか。

過去問をやらなければ、自分が何を出来るようにならなければいけないか分からないですし、具体的な勉強メニューなんて決められるわけがないのです。

過去問をやらずして、どうやって自分の課題に気づけるのでしょうか。
気づけるはずがありません。

まだ過去問をやっていない人は今すぐやりましょう。
今からゴールを見据えて、全力疾走するのでも遅くはありません。

この記事を読んでくれた人の過去問検討が意味のあるものになることを願っています。

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